ようこそ遊山茶訪へ

ようこそ遊山茶訪へ

1880年から脈々と続く茶の木の栽培とお茶作り

19世紀半ばには、凍頂山では烏龍茶が栽培されていました。その土地の人々が原生の「時茶」を「青心烏龍」に品種改良した頃、遊山茶訪の先祖である陳氏一族は既に台湾烏龍茶の旅を歩み始めていました。遊山茶訪は台湾凍頂烏龍茶と相伴って発展を遂げてきた歴史があり、烏龍茶の奥深い製造技術の伝承は、まさに遊山茶訪の志そのものでもあります。

1880
1981

歴史

遊山茶訪は、今から100年以上前に陳氏一族によって、南投縣鹿谷鄉凍頂山鳳凰村において凍頂烏龍茶の栽培を始めたことからスタートしています。勤勉な家風や謙虚で真面目な製茶態度が、陳氏一族に染みついていました。1963年、第5代製茶職人陳重嘉の成長とともに、鳳凰村の外でも発展を遂げていきました。1981年、わずか18歳の若さだった陳重嘉は、製茶職人たちを連れて各地の茶山へ赴き製茶を行い、卸売業など製茶業の多元化に成功しました。同時期に、世では茶コンテストが流行り始め、遊山茶訪は多くのコンテスト参加者に対して必要な原料を供給することで、遊山茶訪の発展の礎を築くことに成功しました。

1990
2001

歴史

鳳凰村は交通が不便なところに立地していたため、陳重嘉は事業拠点を竹山に移転し、遊山茶訪の前身である嘉振製茶所を設立しました。事業規模の拡大や高山茶の認知度の高まりに伴い、製茶経験豊富な遊山茶訪は各高山茶地区との協業を始めました。卸売業以外に小売業への進出も果たし規模も徐々に大きくなり、オリジナルパッケージも誕生しました。1995年、陳重嘉はヨーロッパに渡り経営管理方式に関する視察を行った後、茶葉品質管理制度の確立、店舗のリノベーションを実行、より整然とした環境でのお茶の飲用を可能にし、茶葉の倉庫保管もシステム化しました。

2002
2004

歴史

小売の規模の拡大に伴い、陳重嘉はブランドの重要性を意識するようになりました。「嘉振」は読み方が難しかったため、2002年、「おいしい茶を求めて名山を訪れる」より「遊山茶訪」を設立しました。また、農薬の残留問題にも危機意識を持った陳重嘉は、政府の指導のもと生化農薬検査所を設立し、茶葉の厳格なテストを導入しました。更に、茶文化の継承のため、遊山茶訪は「茶文化先生」を育成し、小学校から大学までの様々な学校において台湾茶文化に関する指導を行いました。

2007
2010

歴史

台湾の消費者以外に、遊山茶訪を訪れる海外の消費者も増加しています。遊山茶訪は2008年に竹山工業地区内に工場を設立し、ISO-22000認定された工場を保有する数少ない台湾会社の一つとなりました。同年、遊山茶訪総経理葉淑盆は、行政院農業委員会から「神農賞」を授与され、遊山茶訪の茶産業への長年の貢献が政府より認められたことになります。台湾の茶文化の更なる大衆への普及のために、遊山茶訪は製造工場の隣りに「遊山茶訪茶文化館」を創立し、国内外の旅行者向けに、快適な空間での台湾茶の試飲、台湾茶の多様さへの理解深化、製茶過程の体験を提供しています。

2014
今日

歴史

台湾の茶産業はバラエティに富み多元的で、時の人たちに愛されてきただけでなく、若い世代にも注目されたことで新しい風が吹き込まれています。「遊山茶訪茶文化館」の館内では多言語による台湾茶文化の紹介が可能です。また、国際的にも茶愛好者の支持を受け、遊山茶訪のサービス拠点が中国、香港、シンガポール、ロシア、イギリス、アメリカなどの地域で設置されました。海外の茶愛好者たちが遊山茶訪のサービスを通じて、台湾の人情味や茶によるもてなし文化の完璧な体験ができるようになりました。