お茶の旅
2022.12.02

日月潭からの厚實な茶風味|台湾紅茶8号アッサム紅茶と台湾紅茶18号ルビー紅茶

日月潭からの厚實な茶風味|台湾紅茶8号アッサム紅茶と台湾紅茶18号ルビー紅茶

台湾の茶産業は、清朝から日本統治時代を経て現在に至るまで、約200年にわたって発展してきました。意外なことに、今や人気の「紅茶」は台湾の茶文化において一時期消えていたことがあったのです。


-台湾紅茶の起源と進化

台湾紅茶を理解するには、まず紅茶の製造に適した茶樹の種類について知ることが重要です。これは紅茶の発展に大きな影響を与えました。延伸閱讀-見樹而知林|臺灣茶樹品種

オランダ統治時代には台湾に在来の茶が自生しており、清朝時代には福建省から小葉種が伝わりました。そして、日本統治時代にはインドから大葉種が導入されました。延伸閱讀 -原始臺灣林蔭的風味|高雄六龜山茶

日本統治時代、台湾は烏龍茶用の小葉種で紅茶を製造し、10年ほどロシアに輸出することに成功しました。ヨーロッパ市場にも進出しましたが、当時ヨーロッパで流行していたのは強い風味としっかりとした口当たりを持つイギリス式の大葉種紅茶でした。このため台湾紅茶の輸出はストップし、再び国際市場に出るまで20年を要しました。


- 台湾紅茶の国際的復活

日本統治時代にインドから大葉種の茶樹が持ち込まれ、台湾の在来茶と交配され、新しい品種が育成されました。さらに国際的に紅茶が過剰生産され、価格が暴落したことで、台湾は幸運にも「国際茶業制限協定」の影響を受けず、質の高い紅茶を輸出し大成功を収めました。


- 1970年代に再び訪れた台湾紅茶の沈黙

戦後、台湾は経済成長を遂げ、労働賃金や製造コストが上昇しました。さらにインドや東南アジアの安価な紅茶が国際市場を席巻し、台湾紅茶は再び影を潜めることとなりました。

延伸閱讀-臺灣茶葉種類怎麼分?傾聽老字號茶品牌訴說臺灣茶的故事

しかし1990年代には手作りの紅茶飲料が流行し、紅茶が再び市場に戻ってきました。そして1999年の南投地震後、茶業改良場は新たに開発した「台湾紅茶18号(紅玉紅茶)」を発表し、日月潭を紅茶の産地として再認識させるきっかけとなりました。この際、茶業改良場の邱垂豊副場長と遊山茶訪の葉淑盆総経理が協力し、紫砂壺で紅茶を楽しむことを推進しました。


- 日月潭:台湾紅茶の故郷

台湾紅茶のルーツは日月潭にあり、農業技師・新井更吉郎がインドのアッサム大葉種と台湾在来茶を用いて新たな品種を開発しました。この成功が、日月潭の紅茶を台湾の主要輸出品の一つにし、現在の地位を確立させたのです。


- 災害後の南投茶産業を再興する - 台湾紅茶8号アッサム紅茶と台湾紅茶18号紅玉紅茶

日月潭のアッサム紅茶(台湾紅茶8号)は、大葉種を使用した初の紅茶であり、日本統治時代に非常に人気を博しました。その茶色は透き通った鮮やかな赤色で、桂皮の香りが際立ち、豊かな風味が特徴です。ミルクやタピオカを加えると、さらに濃厚な味わいが楽しめます。

日月潭の紅玉紅茶(台湾紅茶18号)は、台湾在来茶とビルマ大葉種を交配させた新品種です。自然なシナモンとミントの香りがあり、清澄な赤色が美しく、重厚な味わいが特長です。

日月潭の紅茶は、その独特の風味とともに、台湾紅茶が辿ってきた起伏のある歴史を物語っています。日月潭を訪れ紅茶を楽しむことで、その歴史と物語に思いを馳せることができるのです。


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